世界に誇れる食文化、「和食」。多くの料理が江戸時代に発展したといわれています。
それでは江戸時代の人々は、どんな食生活をしていたのでしょうか。本記事では、食事の内容・人気のグルメ・料理本など、江戸時代の食に迫ります。
今晩作ってみたいと思う料理が登場するかもしれません。ぜひ最後までお読みくださいね。
江戸時代は2食だった?
江戸時代前期、食事は1日2食でした。
人々は朝早く起床し、暗くなったら寝る生活をしていました。
朝早く起床
仕事
朝食(午前中)
仕事
遅い昼食(夕方)
日が暮れたら就寝
3食になったのは江戸中期
1日3食が定着したのは、江戸時代中期(元禄年間)といわれています。
3食になった理由には
- 明暦の大火
- 照明用の菜種油の流通
などがあります。
「明暦の大火(1657年)」では、町の復興のため全国から大工や左官が集められましたが、2食では体がもたないため、正午すぎに食事をとったのが3食のはじまりといわれています。
朝食/7:00頃(明け六つ)
昼食12:00頃(昼九つ)
夕食/19:00頃(暮れ六つ)
どんなものを食べていたの?
江戸時代の食事のメインは白米でした。
燃料が貴重で、煮炊きが大変でしたので、炊飯は1日に1回。白米を1日4~5合食べることもあったそうです。
江戸庶民の食事
庶民の食事は
白米・味噌汁・漬物
が基本でした。
魚を食べられるのは、裕福な家でも2週間に1回程度。夜ごはんに野菜、豆、ひじきなどを煮たおかずが1品付くことがあるシンプルな食事です。魚では、まぐろやいわしなどが好まれました。
魚以外のたんぱく源としては、大豆製品が食べられていました。
農民の食事
農民は米を年貢として納めていたので、
少量の米・粟(あわ)・稗(ひえ)
をまぜて食べていました。
おかずはなく、野菜を入れた雑炊や、小麦粉で作った団子など、庶民に比べ質素な生活をしていました。
武士の食事
下級武士も庶民と同程度の、以下のような食事内容でした。
白米・味噌汁・芋、野菜、豆などの煮物・漬物
魚を食べるのは月に数回ほどで、上級武士になると魚を食べる機会が増えたようです。
将軍の食事
将軍は、毎食魚を食べていました。
平目・鯛・鱚(きす)・鰹、卵料理など
夕食には、お酒もたしなんでいたそうです。
ただし、天ぷらは食べなかったようです。初代将軍・徳川家康が天ぷらを食べて亡くなった(諸説あります)ことや、火事を恐れたのが理由とされます。
江戸時代の人は肉は食べていたの?
日本で家畜の肉を食べるようになったのは明治時代からですが、江戸時代にも肉類は食べられていました。
イノシシ(山くじら、牡丹)
馬(桜)
鹿(紅葉)
鶏(かしわ)
うさぎ
「生類憐みの令」で肉食は禁止されていましたが、人びとは別名で呼んでこっそり食べていたようです。上記カッコ内は、江戸時代に使われた隠語です。
江戸時代の料理本
江戸時代には、料理本が多く出版されました。人々がどんなものを食べていたのかを知るための、貴重な資料となっています。
代表的な書物をいくつか紹介しますね。
『豆腐百珍』
天明2年(1782年)に出版された料理本で、豆腐料理100種類の作り方を解説しています。大ベストセラーとなり、この本がきっかけで
- 「鯛百珍料理秘密箱」
- 「甘藷百珍」
- 「大根百珍」
などの百珍料理本がブームとなりました。
「万宝料理秘密箱」
天明5年(1785年)刊行の「万宝料理秘密箱(まんぽうりょうりひみつばこ)」は、鳥や卵などの調理法を、素材別に紹介した料理本です。
卵の部には、103種類の卵料理の珍しい調理方法が紹介されています。(「卵百珍」と呼ばれます。)
江戸時代の人が外食することはあった?
外食は江戸時代中期以降、屋台を中心に広まりました。屋台料理のうち「四天王」と呼ばれるのが
- 蕎麦
- 鰻
- 寿司
- 天ぷら
です。
屋台は、素早く食べられる、現在のファストフードのような位置付けだったと思われます。そばつゆや蒲焼きに欠かせない濃い口醤油の製造も、江戸グルメの発展に大きく寄与しました。
こちらは、江戸の屋台を描いた浮世絵です。料理がたくさん並んでいて、屋台のにぎわいがよくわかりますね。
蕎麦
蕎麦屋は、時代劇や落語によく出てきますよね。江戸時代の蕎麦屋は屋台が中心で、四天王のなかでも値段が安くて大人気でした。
従来はつゆに麺をつけながら食べるスタイルでしたが、せっかちな荷運び人夫などが、つゆを蕎麦にぶっかけて食べ始めたことから「かけそば」が誕生しました。
こちらは、蕎麦屋の屋台の様子がわかる浮世絵です。
鰻
鰻の丼は、文化年間に大久保今助という人が思いついたといわれています。これは鰻が冷めないように、鰻をごはんの間にいれたものでした。
鰻めしは高級品で、庶民は蒲焼きを串に刺したものを屋台で買って食べていました。
ちなみに土用に鰻が食べられるようになったのは、平賀源内が知り合いの鰻屋から頼まれて考えた「本日 土用丑の日」というキャッチコピーがきっかけといわれています。
寿司
熟れ寿司が発祥といわれる寿司は、江戸中期までは上方の「箱寿司」のみでしたが、江戸後期になると「握り寿司」が登場します。
料理屋で出されていた握り寿司が屋台で売られるようになると、庶民が気軽に食べられるようになりました。
江戸時代のネタは
えび・きす・こはだ・アナゴ・まぐろ・赤貝・卵など
寿司も浮世絵に描かれました。おいしそうですよね。
天ぷら
天ぷらはキリスト教の伝来とともに、日本に伝わったといわれています。江戸時代中期以降は、庶民の食べ物として蕎麦、寿司に並ぶ人気料理となりました。
調理に油を使うので、火事を避けるために屋台で提供されていました。
えび・アナゴ・貝柱・こはだ・いか
などに衣をつけて揚げ、串に刺して売っていました。
おかずの番付表があった
江戸後期、庶民がどんなものを好んで食べていたかがわかる資料に、「日々徳用倹約料理角力取組(ひびとくようけんやくりょうりすもうとりくみ)」があります。
相撲の番付表のように、料理をランキングにしたものです。今で言う「毎日の節約おかずランキング」ですね。精進方(動物性食品を使わない料理)と魚類方に分けて記載されています。
庶民が気軽に楽しめるメディアの一つだったのでしょう。
番付表の内容
番付にどんな料理が載っていたのか見てみましょう。
魚類方 | 番付 | 精進方 |
めざしいわし | 大関 | 八杯豆腐 |
むきみ切干し | 関脇 | 昆布油揚げ |
芝えびからいり | 小結 | きんぴらごぼう |
まぐろから汁 | 前頭一 | 煮豆 |
小はだ大根 | 前頭二 | 焼き豆腐 |
たたみいわし | 前頭三 | ひじき白和え |
いわし塩焼き | 前頭四 | 切干し煮付け |
まぐろ刺身 | 前頭五 | 芋がら油揚げ |
塩かつお | 前頭六 | 油揚げつけ焼き |
にしん塩引き | 前頭七 | 小松菜浸しもの |
上記とは別に、季節毎の料理や、「行事」「世話役」などの欄も設けられていました。
- 行事には、「ぬか漬け」「梅干し」「沢庵漬け」など
- 世話役には、「でんぶ」「ぎぜん豆」など
- 勧進元(興行主催者)・差添(興行主の付添人)には、「塩」「味噌」「醤油」などの調味料
が選出されています。ユーモアとセンスあふれるランキング表ですよね。
まとめ
江戸時代の食事について解説しました。食材も調理器具も燃料も、現代のように豊富ではありませんでしたが、食べることを楽しもうと工夫してきたことがよくわかりましたね。
「手に入る食材から、いかにおいしくバラエティーに富んだ料理が作れるか」
そんな探求心が和食の発展を促してきたように感じます。
和食がユネスコ無形文化遺産に登録されて、今年でちょうど10年。今一度、和食の価値を見直して、未来へ引き継いでいきたいですね。